紅茶の話でもしましょうか。  

 近頃、僕は紅茶をよく飲んでいます。もともとは(ドリップ)コーヒーを好んでいた僕が大英帝国が数多くの戦争の輸出と共に作り出したあの茶葉に手を出すようになったのは、自転車(クロスバイク)に乗っていたある日、ノーブレーキで来た自動車(建設関係の白バン)に後ろから撥ねられたのが切っ掛けでした。というのはすでに様々なところで書いてきたことです。体がバラバラになるような力によって投げ飛ばされ自転車から落下し(落ちてまず初めに地面と衝突したのが仙骨周りだったので、この骨が砕けてその下の神経を傷つければ下半身マヒもあった。と診断した女医氏に言われたのをよく覚えています。この事故のことは全部よく覚えているのですが(笑))、実際にはバラバラにはならなかったものの、神経がバラバラになったように身体をうまく動かすことが出来なくなり激しい痛みを肉体が襲い、数か月松葉杖をついて生活していた僕は、道を行きかう人々が障害を持つ者にあまり優しくない(リハビリには杖を突いてバスを使って通っていたのですが、老人も若者もほとんどの人が席を譲ってくれませんでした)その一方で対比的に無限とも思える優しさで接してくれる人もいることを知るとともに、紅茶の喫茶の意味も知ったのでした(ついでにパイプたばこ(シャーロック・ホームズとかマッカーサーとかが吸っていたあれです)の煙の楽しみも本格的に知ったのですが(いまではオランダの有名な作家が作ったパイプは手元にあります)。いまでは止めてしまいました)。具体的にいうとろくに身体が動かないから暇な時間が増えたのです。

 

 されとて僕は流れゆく雲をずっと眺めて居られるほどの情緒人でもないし。というところに紅茶が滑り込んだ……というか、赤くて透明で、優雅にカップの中で揺れるイメージの茶を飲み始めてみることを思いついたのです。僕の傷ついた心身にドリップコーヒーの暗く深く切実な苦味は似合いませんでした(いまでも僕はコーヒーは飲みますが、家では直火式の抽出機で入れるいわゆるモカエキスプレスしか飲んでいません。ドリップで入れたものの研ぎ澄まされた苦味ではなく、黒く、熱く、状況への似合う/似合わないの有無をいわさないあのやぼったさもある苦さ(ここがこれを基本的な飲み物の1つとしているイタリアという国の本質の1つであるようにも思えます。食を通してただの想像にすぎませんけれども)の、カフェインの少ないこれが好きなんです)。

 

 近所にあのルピシア伊藤園が展開している茶葉の専門店(この店も杖をついていた僕にも優しくしてくれた店の一つです。それとユニクロの店員諸氏にもよい接客をしてもらったのはいまでも覚えています)もあって、様々な紅茶(はもちろん、中国茶ハーブティーにも手を出したのですが、それはまた動機が別の話です)を試してみるにはぴったりだったのです。紅茶専門店、というそれまでの僕の人生の未踏破の場所に初めて足を踏み入れた時のあの緊張するような、少し不思議な気持ちになった感じを今でも覚えています。そして僕が選んだ紅茶葉を店員女史がパッキングする優雅な手つきを見た後で、帰宅し、僕の、紅茶との本格的な付き合いが始まったのでした。

 

 色々な茶葉にホットからアイス、ブラックにミルクにレモンに、砂糖入りとさまざま試しましたがこういうのは決まった飲みかたと作りかたに落ち着くもので(僕は基本的にはヌワラエリヤのブラックティーを好みますが、冬はアールグレイやイングリッシュ/アイルランドブレックファストブレンドやティンブラで入れたものにたかなしの低温殺菌牛乳を混ぜたものを、春はニルギリのレモンティーを、夏は一度沸かした湯で作った氷で割ったアイスティーも飲みます)すが、当時からそしてそのあと事故による怪我が完治したあとのある時期まではいろいろと試し、前出の専門店からスーパーで買えるもの、輸入食品店である『カルディ』にも紅茶はあるし、マリアージュフレールエディアールフォションも、日本橋三越にフォートナムアンドメイソンも飲みにいったし、帝国ホテルでアフタンヌーンティーも飲みに行きました(これは母への、母の日の細やかなプレゼントとして行ったものなのですが・笑)。とはいえ自分のことを紅茶に詳しい者だとは決して言えません。僕はあのシロニバリ茶園やスリランカにすら行ったことがないのですから(いわゆる聖地巡礼というやつですね。どんなものでもそれに魅入られた者(英語ではオブセッションなんて言って、映画や小説の大きな主題の一つになるほどの精神的な動きですが)の悪癖と言ってもぎりぎりで過言ではない行動力はすさまじく、ヒップホップ/ラップ音楽のリスナー自身がやがてはラッパーやトラックメイカーになる確率と同じような体感で、これの喫茶に魅入られた者は最後は自分でこの茶葉を輸入販売しだすのです。それに比べたら僕は牧歌的も牧歌的で、自分だけで楽しみような細やかな趣味レベルのものです)。

 

 とはいえこの紅茶という、大英帝国が戦地と植民地と独立戦争で流れる血と共に世界中に輸出した赤い液体が、自分の多くの時間の癒しになったことは興味深く付き合いながら、しかしいつしか別のものに癒しの品は変わっていったのです。アルコールという、カフェインではなく鎮静剤の、それも強烈なやつ(アルコールの本質は鎮静です。飲みすぎればどんな者も最後にはまぶたを閉じるのですから(ひどいとそのまま死んでしまいます))に。紅茶を飲む前から僕はアルコールの接種を嗜んでいたので、事故によって飲めなくなったそれが戻った形であり、これは精神的な事故からの完治でもありました(その後の僕自身の健康への良し悪しは別としてですが、心身の状態は”事故前”には戻ったわけです。僕も多くの人々と同じように、実際の事故にあう以前から、すでに事故にあったかのような人生ではあるわけですが)。

 

 そんな折に前回のエセーで書いたように僕は肺を病み(言を繰り返しますが、いま流行ではないほうの病みかたで。これも言を繰り返しますが、流行というもの自体への僕の人生の、隔世の感があります)、再び紅茶の喫茶が滑り込んできたのです(僕の私感では、すべては僕の無意識が行ったことであり、その無意識を意識のレベルに取り上げようと、アルコールとの付き合い方を改め(いまも摂取自体はしますが頻度/量の問題として、意識下に置いています)、楽器の演奏の仕方を変え(僕が演奏する楽器は概ね管楽器ですから、その多くは息の使いかたへの改革です)、ボディメイクと趣味にしていた運動の仕方を変えました(いまでは自宅での筋力トレーニングと外での軽いランニングも再開しています、なにせこの運動ならばしてもいいと自治体が言ってますからね・笑))

 

 多くの人々が今回の流行病のこと(故・志村けん氏のその死を今回の流行病への身を張った警句として語った者は小池百合子氏と同じ知性の在りかたを持つ者だと自覚しないといけません。僕は小池さんは政治家として嫌いではないのですが、多くの人々は嫌いでしょう)と共にオリンピックのことを語っています/語っていました。

 

 それが現在の社会状況に参加するための掛け金のようにしてです。あるいはそれをいま自分がいる場所からどこかほかの場所に行ける、あるいはほかの人に出会うためのチケットのようにしています。オリンピックを掛け金にできるのは本来的には参加する選手と現地で観戦する者だけでしたが、すぐに政治家が加わり、テレビジョンを通しての観戦者とセットになるようにビジネスに関わる者が加わりました。そして現在では誰もが(語ることで)オリンピックを自分の掛け金にしている状況です。いま僕が書いているのは税金の使いかたへの議論ではありません、人々の混乱に関する議論です。オリンピックのことを語っている人々のうちのどれだけが実際の観戦者になるのでしょうか。オリンピック反対派の中には、オリンピックだけが中止になると思って反対している人たちが多くいます/いました。そう思い込んだ混乱を抱いたままの議論はオリンピックを、現在の社会状況をどうにもしません。一度は冷静になるべきです。それからオリンピックの話題が自分の掛け金/チケットになるか考えて、語ればいいのです。ついでにパラリンピックのことも必ず忘れずに。

 

 紅茶は良いものです。紅茶の一番良いところを臆面もなく語ると、世界的に流通するどの茶よりも(現在では)安いところです。人はコスパが良い、といいます、現在ではコストパフォーマンスという概念は決して良いことばかりではない、という考えかたが広まってきました。なにせそれは剰余価値のたまものというか、どこかの誰かの給料を削っていることと同じですから。そして紅茶とは大英帝国の植民地支配こそが安定的な供給を作ったものであり、砂糖の歴史などと同じく、コストパフォーマンスここにあり、なものなのですが、安いことは安いです。同じような歴史を持つコーヒーよりも安いのだから驚くべきことです(現在では茶葉を生産する国の、主要な輸出品として、優れた商品としても機能しています)。

 

 言を繰り返しますが、紅茶は良いものです。紅茶は季節そのものの味がします。春の紅茶は菜の花のお浸しのようなうま味と苦味を持ち、夏のアイスティーは冷たさそのものを飲み味もそれを邪魔せず、秋はぬくもりを、冬はあの湯気の柔らかさを飲めるのです。

 

 最近の僕はリプトンの青缶ことセイロンブレンドを改めて評価したり、同社のアールグレイを飲むなどしながら、体力の回復期に伊藤園の茶葉販売店にも赴きました。そこで見つけたのは日本の静岡県は両河内で栽培されたもので、大英帝国の植民地にはならなかったどころか、ある時代は同盟関係であった日本の現代において紅茶が栽培されているということ自体は、植民地うんぬのパースペティクブでは語れず、紅茶というものは違う性質を帯び始めていることの証左です。と話が少々脱線しましたが、この両河内がとても美味しかったんです(笑) ヌワラエリア的なすがすがしさと渋みを持ちながらも暖かさがある落ち着いた気分になる味でした。

 

 かの国では紅茶は万人の飲み物であり、シティの投資家から、地方の資産家、労働者も飲むといいます(イギリスにも行ったことがない僕にとっての紅茶の海外とは、書物の中のパリのように、映画の中のアメリカのように、音楽の中のウィーンのように、創造の、空想のなかにしかありません)。

 

 言を再び繰り返しますが、紅茶は良いものです。僕は2月の初頭から3月の中ごろまで、熱く濃く紅茶を入れ、カップの底に氷砂糖を落とし、そこに紅茶を注ぎ、最後にカップの淵から落とすように生クリームを垂らす、北ドイツで行われているという飲みかたを良くしていました。生クリームを入れた後には決してかき回さないのが、星の林の隣には月の船が必ずあるように重要なことで、砂糖の塊が熱い茶で崩れる音を聴覚で楽しみ、雲のように広がる生クリームを視覚で楽しみながら、最後にやってくる砂糖の甘さをふくめて味の変化を味覚で楽しむのです。この楽しみかたをする紅茶が甘い、濃いのはもちろん、滋味を強く感じる飲み物であり、ドイツの北海に面する地域でこの飲みかたが昔から好まれているわけが分かったような気分にもなりました(山岳地帯の国では、コーヒーに山羊のバターを混ぜるように。です)。

 

 様々な人々が適当なことを言えることこそが自由である、とは人文主義が誕生して以降の半分くらいの人類のテーゼではありますが、大衆の加熱する舌は(デマなどの悪質なものがなくとも)大衆自身の未来を捻じ曲げてきました。冷静になってから、それが自分の掛け金になるかどうかを考えればいいのです。ならないならば捨てておけばいいし、掛け金とは切った張ったの上にある(勝敗が明確になる賭博である)ことを理解した上で、そのあとで、どこかに張ればいいのです。そして勝ち負けをきちんと受け取ればいいのです。古代の井戸端会議、という賭場が小さい時代ならば自身が博打を打っていることに無自覚でも良かったのですが(最悪でも飛ぶのは自分の指だけです)、賭場が中央競馬場の如く大きくなっている現代では、賭博を行っていることに全員が無自覚ではその影響が小さなものでは済まなくなっているのです。

 

 かの国では紅茶は、博打の場でも欠かせないものでした。

 

 

  以上の文章は在日スリランカ人が経営する会社の商品である、スリランカ産の茶葉をブラックティーにして飲みながら書いた。