非常事態のプロポーズ

 「みんな数になんかなりたくないんだよ」と言う女の子の声が僕の耳に入って来ました。彼女の言う数が流行病にかかった感染者の数のことなのか、それともその死者の数のことなのかを僕は考えます。感染と死、という肉体の状態は違えども数えられ増加したり減少したりする数値というところは同じだな。と思う僕の耳には次いで、女の子と同じテーブルに着いている青年の「分かってる、分かってるよ」という押され気味の声が入ってきました。

 

 僕が居るのはどこにでもある都内のファミリーレストランの1つで、普段は家族や学生、会社員の昼食や夕食、夫婦や恋人や友人たちの、あるいは僕のような独り身のものたちの食堂や酒場として利用されている店で、僕の傍らのテーブルでは、話を盗み聞くに、保険外交員と思われる若い女性と顧客と思わしき男性が座っていて、黒い髪を結わき細身のスーツに身を包んだ彼女が「最近健康のためにジムに通いだしたんです、そこのプールで泳ぐんですけど、競泳水着ってけっこう小さくてモモとかに食い込んで痛いんですよね、わたし敏感肌で」と言い、男の鼻の穴が一瞬広がります。その声が耳に入った僕のように、他の男性客も彼女の容姿を一瞬の目視で確認しようとしています。エグいことをいうなぁ、保険の営業って大変な仕事だなぁと思い、それから、いや、ありとあらゆる職業に就いている者が戦っているのだなぁ。と思い直して、僕は目の前の皿の、トマトとクリームで作られたソースを和えたスパゲッティを銀色のフォークに巻きつけては口にしていました。うん、トマトとクリームとよく茹でた小麦粉の味がして美味しい。

 

 その食事も終盤に差し掛かり、ドリンクバーでノンアルコールのカクテル(材料:オレンジジュース、炭酸入りのカルピス飲料、極少量の烏龍茶)を作り帰ってきたところで、先ほどとは違う、別の席から、冒頭の、その声が聞こえてきたのです。

 

 「みんな数になんかなりたくないんだよ」と。

 

 その子が続いて「イイネとかフォロワーの数を気にするものいいけど、それだけじゃないんじゃない?」と言うので、僕は口に含んでいたカクテルを吹き出しそうになります。ああ、なんだSNSの話かそりゃそうだよお嬢さん。誰だって誰かの特別な人になりたいんだからさ。増加していく数の1つとして扱われるより顔や名前くらいは覚えられたいんじゃない?あぁそのミュウミュウのバッグは可愛いね。とみれば彼女と同じテーブルに着いている男の子は容姿もとても良く、アイドルさんだとか、人気のユーチューバーさんだとか言われればそのようにも見えてきます。

 

 芸能ごとや音楽産業、そしてそれ以外のビジネスも同じで、商いをし続けることと、数の増加はほぼ同じような意味を持っていることは園児でも知っていることです。と考えるとAKB48さんだったか(僕は女性アイドルさんの動向に疎いとさえもいえない無知さで、いま現役でかのグループに在籍しているかたの名前の1つも言えません)、CDを買うと握手券がついてくるというやりかたは上手い商売の仕方でした。CDも売れて(数の増加)、握手会に参加したファンさんは実際にアイドルさんと触れ合えるのだから個人の認識の欲望も満たされますから。あの商法は誰も損をしない善行だとも言えますなぁ。でも個人の認証の欲望はキリがないんですけどね。などとコンマ1秒で考える僕は、その若い男女を見て、あぁそういう話なのかな?とも推測したのですが、男の子のほうが恐縮している感じでもあります。それに更に彼女は言うのです。

 

 「だってさ、歌舞伎だって大入りとか言うわけじゃない?累計何万人入場とか言わないわけよ。それが昔から今まで続いている商売のやりかたで品があるってものでしょう。あのジャニーズだって公演で何万人とか、ファンクラブの人数が合計でどれだけ突破したとか言わないし、そういうのが嫌だから数が顕著になってしまうネットへの進出を、ジャニーさんが止めてたわけでしょう。ファンの子、1人1人のことを考えてるよね」

 

 と彼女の口から出た”ジャニーさん”のイントネーションが完璧で、僕はああこれはマネージャさんかスタッフさんとタレントさんの組み合わせなんだな、と思い直します。シーバイクロエの春用のジャケットの袖を捲りながら話を続ける彼女、と恐縮している男の子の声を耳に入れながら、僕は、彼女の語彙と迫力にその推定年齢をミュウミュウよりプラダ、シーバイクロエよりクロエをお召しになるのが似合う年齢なのではないか?と引き上げるのですが、着けているリップがサンローランやディオールのものなのか、トムフォードのものなのか、それともジルスチュアートのものなのかもわからない、でもアナスイではないだろうなぁ、程度のことしかわからない僕には彼女の実年齢はわかりませんし、僕はある種の精神的な症状として、尊敬と畏怖とそこから生まれる諸感情の均衡の結果として、幼女から老婦人までのありとあらゆる女性が遥かに年上にも感じられるので、さらに彼女の年齢は分からないのでありました。

 

 それにしてもこのノンアルコールのカクテルはオレンジジュースとカルピスと極少量の烏龍茶の味がして美味しいなぁ。などと思いながら、ファミリーレストランの店員氏に追加注文でチョコレートムースと生クリームのデザートを頼み、僕は彼女たちの話の盗み聴きを続け……いえ、もうどうしたって耳に入ってきてしまう。という感じなのですが。

 

 「それなのにあなたはインスタグラムやツイッターで数のことばかりを。そんなことをずっと言っていると、そうすると、女の子はしばらくしたら、あなたのことなんかどうでもよくなっちゃうでしょ。まぁSNSが、あなたをそうさせているところも、あるんでしょうけれど」

 

 そうそう、僕の先輩のバイオリニストも似たようなことを言っていました。1万人の女性を一時期夢中にさせるより、1人の女性をずっと夢中にさせるほうがはるかに難しい、と。しかし永遠に1人の人間の虜になることは、チョコレートフォンデュの大海にその身が落ちたような、体にまとわりついて離れない熱い甘さに身を浸す辛辣な官能であり、それを人に行わさせることは大罪に等しい行為であり、それだったら一時期夢中にさせるもやがてはそれが薄れて自然に2人は離れていく、というありふれた恋愛のもののようなほうが、善行と言えるほどの行いです。

 

 SNSが人を数にのみ機敏にさせる、という特性には僕も同意しつつも、僕だってSNSは嫌いではありません。僕もSNSで知り合った女性とデートをしたり、付き合うようになった女性もいるし、さらにはそのなかの1人が妻になって、しばらくは甘い生活が続いて、あんなにも愛し合ったのに、結局は1年ちょっとで離婚したのですから。だから恋愛や情愛や愛情や女性については人並み以上には知っているつもりではいます。……やはり1人の人をずっと夢中にさせるのも、1人の人にずっと夢中でいるのも、とても難しいものです。たとえその行いが大罪の悪行だとしても、悪行にも倫理も技術も、さらにはそれらによる救いすらもありましょう。それにしてもこのチョコレートムースは思っていたよりも苦いなぁ。苦くて甘くて美味しい、のだけれども。

 

 「そしてあなたは私のことも忘れてしまうんでしょう!!」

 

 うおーまじか。と次に彼女が発した言葉に僕は驚きます。恋人の関係だったのか、いやアイドルとマネージャーの関係であり同時に恋人の関係だったのかな。そんな彼氏へのヤキモチとか束縛とか約束とか不満とかそういう話だったのかな。彼女のそのセリフに、僕はスプーンを口にくわえたままイスごとひっくり返りそうになるところをふくらはぎの力でなんとか踏ん張ります。3日に1回くらいは10キロ走っていて良かった。いやというか、ああ、やはり彼女がつけているリップはアナスイのものなのかもしれない。いやまさか10代後半~20代前半使用コスメランキング1位のキャンメイクと2位のマジョマジョことマジョリカマジョルカのものではあるまいないやまてこの2つはプチプライスいわゆるプチプラコスメであり値段のお手頃感とクオリティそして知名度そしてパッケージデザインの可愛さを両立させたものとしていやあるいはKATEのものかもしれないがともかく化粧品と女性の年齢はいつになってもいくつになってもメイクの目指す方向とコストをかける費用が一致していればいいのであってそれゆえに比例関係が必ずしもあることではなく……。

 

 なにが、恋愛や情愛や愛情や女性については人並み以上には知っているつもりではいます。だ。僕はなにも知らないじゃないか。

 

 そこから涙声になった女の子は堰を切ったように、という言葉がふさわしく、自分の口が動くのが自分で制御できないことを自覚しながらも、そのままに、ヒステリックな王女のようにも見え、サディスティックな女王のようにも見える、美しさと興奮のままに、男の子への、二人のあいだに交わしている愛の不満の悲しみとその不安の弁を繰り出したのです。

 

 僕は自分の顔が自然に笑顔になっていくのを抑えます。僕のこの笑みはこの光景が可笑しいからとか、下世話な根性から生まれたのではありません。怒っている女性が大好きなのです。それはバブル期に新宿は御苑のまえで不動産屋をやっていた父親が不在がちな家で、小料理屋をやっていた祖母と、家を仕切っていた母と、8歳も歳が離れている姉に囲まれて育ったという環境から、むしろ女性が怒っていると安心するとか、幼少期を思い出すとか、女性が怒っている時だけはすべての女性が遥かに年上には感じられないから、という理由からかもしれません。反対に、怒らない女性、というのは僕にとっては怖くて怖くてしかたがありません。僕と別れた妻も……彼女もそういう人でした。ともかく怒る彼女の雰囲気に僕以外の客も2人に注目しだします。

 

 「あなたっていつもそうよね」
 「いつもそういう顔をするのよね」
 「なにか言ったら?」
 「わたしのことはどうでもいいんだよね」


 
 等々、彼女は言葉を続けます。その矛先を向ける男の子の正体が、有名なアイドルさんなのか無名のものなのかも僕にはわかりません(女性のアイドルさんと同じく、男性のアイドルさんのリテラシーも僕は持っていません。隔世の感この上なしです)。しかしどちらにせよ、そういう職業のものが人前で行っていいものではないでしょう。もはや僕以外の周りの人々も彼らに完全に注目しているのです。

 


 うわーどうなるんだろう。おっかない事態だなぁ。と僕が(笑顔をこらえながらも)震える最中、男の子が懐から小箱を取り出します。その箱は、多くの男女が見覚えがあるものです。僕にだって見覚えがありました。うおーまじか、と先ほどから驚いてばかりの僕の視線のなかで、勇気を奮い立たせたような彼が、彼女に向かって言葉を送ります。

 

 「こ、これあとで、ほんとうは言おうと思ったんだけど。こんなときだけどさ、一緒にやっていこうよ。僕も、君だけがいれば、良いんだ。いつもありがとう。こんなときだけれど、明るくしてさ、君のことを守るよ」

 

 彼はそういって小箱の中の、小さな小さな石が光るリングを、彼女に差し出します。ボリス・ヴィアンは、2つのことがあれば人生には満足する、それは可愛い女の子とデューク・エリントンの音楽。だと言ったなぁ。と僕は頭の傍らで思い出しつつ、視線の先の彼と、遠い昔に死んだフランスの作家の言葉に同意します。人生は1人の愛する人がいればそれで十分なのです。誰だって数になんかなりたくないのだから。

 

 そういえばいま、あの人はなにをしているのだろうか。不安に苛まれていないだろうか。と僕は目の前ではなく、遠くのどこかに居るであろう誰かのことを思います。

 

 視線の先の彼女は怒りを忘却して、涙を流しながら、彼から貰ったリングを左手の人差し指に身に着け幸福そうにしています。

 

 僕はそんな2人を見て自然に拍手をしていました。いえ僕だけではありません。周りの客も同じで、若い2人が起こした突発的なできごとに、店内は拍手喝采に包まれています。気を聴かせた店員氏がBGMをロマンティックな音楽に変え、キッチンからは特別なケーキのプレゼントが送られ、スポットライトが2人を包み、純白のバラの花束が手渡され、教会のベルが鳴り響き、空には白い鳩が飛びかい、天空には大きな虹が……

 

 と上記のことは僕の心象を描いたに過ぎませんが、こんな時だからこそ、離れていても、怖いことは言わず、暴力は振るわず、互いを守り、優しくし、戦い、明るく、笑い、泣くときは一緒に泣いて、誰も数などにはせず、気分よく生き抜いて、カタをつけたら、一緒に良い音楽なんかを聴きながら上手い紅茶か酒でも飲みましょう。どんなに離れていても。会うことがなくとも。知らない者同士でも。