スウェットを着て外に出るということ/月(常体)と六ペンス


スウェットを着て外に出るということ

スウェットデビューをした。汗という意味の英単語をその名前に付けられた生地で作られる衣服は、その名前と生地の持つ特徴(伸縮性、防寒性、吸汗性)が示しているとおり秋/冬などの寒い時期にスポーツのゲームやトレーニングをする際、またはその前後にこれを着ることで体温を上げ身体を冷やさないようにするために着用されている。その歴史は労働者の作業着というところから始まり、軍用の衣類、そしてスポーツウェアという経緯を辿るが、多くのワークウェアが、多くのミニタリーウェアが、そして多くのスポーツウェアが、始めに目的どおりの用途に使用されると、次に若者が着るストリートウェアとして使用され(それはそれまでは下着として使用されていたTシャツを映画「欲望というの名の電車」で粗暴な夫や「乱暴者」でバイカーを演じた主演のマーロン・ブランドがトップスとして着こなしたことに影響を受けて多くの若者がこの服を着始めたように、映画「タクシードライバー」でベトナム戦争帰還兵役のロバード・デ・ニーロが着るM-65フィールドジャケットのクールさに惚れ惚れした若者がこのミニタリージャケットを普段着として着用したことと同じようなことだ。服の新しい使用の仕方(着方)をするのはいつも若者である)、そしてやがては年齢と性別を問わず着用されるカジュアルウェアとなるように、このスウェットという服も皆さんが知るように(お召しになっているように)誰もが着る服になった。

その過程で重要なのは現在はオールドスクール/オールドスクーラー(古典派)の名前で呼ばれる80年代のアメリカで隆盛を誇ったヒップホップ文化に所属していた人々のファッションだろう、アディダスのジャージと共にスウェットを着こなした彼らはこの服を、ただの衣服から、いわゆる"お洒落"な衣服へとその価値を高めた(もちろんそこにはヒップホップという文化にはラップと同程度(ブレイク)ダンスが重要な位置を占めているからだという理由もある。このダンスには身体の動きの邪魔をしない服が必要とされ、また人前で踊るのだからそれなりの(その文化なりの)見栄えも必要とされた)。その価値の進展は、スウェットが広義の意味ではジャージであることから(もちろん厳密にはジャージとはジャージー生地を使った衣服のことだが)かのシャネルの創業者/デザイナーであったココ・アヴァン・シャネルがジャージー生地を使った女性用のドレスを発明し女性の社会的地位を向上させたように、スウェット生地もやがてはパリで行われるプレタポルテオートクチュールコレクションで発表される衣服にも使用されるようになる。ここにきてスウェットが持つ機能性とお洒落としての価値は最大のものとなった。

と、私がスウェットの歴史を語り、皆さんがそれをお読みになったところで、皆さんはこのスウェット衣類、とくにそのジャケットやパーカーとパンツを同時に着用する、スウェット上下ということについて何を想像するのだろうか、単刀直入に言えばどんな人を想像するのだろうか?

これもまた単刀直入に言えば多くの方が想像するのが、小売店のドンキホーテと関連して語られるような、(もう既に一昔前の言葉だが、とはいえ現在でも現役の高校生も使うが)DQM/ドキュソといわれる、ある種の不良/チンピラが着ているユニフォームとしてのスウェットだろう。DQM/ドキュソの人々がこれを象徴的なユニフォームのようにして着ているのは、前記のヒップホップの影響もあるが、私は舎弟というものの存在を想像し、彼/彼女らへのその影響力も鑑みる。

舎弟である。上役について回る(上役から見た)下っ端のことだ。それは極道の場合も、不動産業などの場合もある。私はなにも極道の世界に詳しいと言いたいのではないし、実際にその役職などの実情もあまり理解はしていないが(特に不動産業などの方をみると判るのは)舎弟とは子分という身分でありながらもその他の子分とは違う、上役と公私を共にするある種の秘書やマネージャーのようなものだろう。私はそういった意味での舎弟の人々を何度か目にしたことがあるが、必ずではないにしても多くの場合で彼らが着ているのはジャージやスウェットであった。上役も(舎弟以外の)子分もスーツを身に纏っているが、上役に立ち位置が1番近くその他の子分よりも立ち場が上と思われる舎弟だけがそれを着ているという場面にも出会したことがある。これが事実であることは、Vシネマなどのアンダーグランドな映像作品から「アウトレイジ」などのメジャーな極道映画にまでその姿が描かれていることが証明している。そして現実と映画は相互作用し、舎弟のユニフォームとしてのジャージ/スウェットを形作って行く。

ヒップホップと舎弟という 2つの流れ、その固定されたイメージがDQM/ドキュソにジャージ/スウェットを着用させ、ひいては多くの人がジャージ/スウェットからDQM/ドキュソを想像することの源になっている。とはいえもちろん楽だから着るという理由もあるだろうが、そんな楽だから着るという精神的な構造が彼/彼女らにはあり、それを着て外に行けるという社会的な立ち位置なども彼/彼女らにはあるのだ。やはり広義の不良はジャージやスウェットを纏う。

都会と地方では、やはり地方のほうがスウェットの着用率が高い。もちろんお洒落としてのスウェットである。地方の特に農業や工業が盛んな場所に住む男で、トラッド/アイビーなどのクラシカルな服をお洒落着として持っている人間と私は合ったことが無い。女性がテレビやファッション雑誌の影響でいわゆるセレブの服装を目にし、そこからの流用でクラシカルな服を纏うことがあるのとは正反対である。しかし当ブログをお読みの方のなかにはそういった人もいるのかもしれない。なにせこれをお読みの皆さんは好事家である。好事家故の趣味の良さからそのような方もいらっしゃるだろうという推測だ。もしいらっしゃるのならば、それは服飾文化における喜びの1つであることは間違いないので、その趣味を保ち続けて欲しい/そしてその趣味の良さのまま変化して行って欲しい(もちろんスウェットが悪いと言っているわけではない、なにせ自分でもそれを着始めたという話をいましているのだから・笑)。
 
そんな状況の日本でスウェットのパーカーとパンツを同時 に纏うことは、私にはなかなかできないことだった。簡単にこれができるという方も居られるだろうし、私自身は自分のことをボンクラでありチンピラだと思っている、それにそういった人々のことも嫌いではない(変に五月蝿いだけのガキは嫌いだが)。しかし自分がそれを着ることを容認することは出来なかった。私の内側のなんらかのものが不許可を出し続けていたのだ。

しかし最近になって突然に許可がおりた。

前々から私は細身のスウェットのパンツは1本だけ所有していた。その上に(テーラード)ジャケットを纏ったり、裾をブーツに入れて着るのが好きだった。そうするとスウェットだがスウェットそのものには見えなくなるのだ、しかし格好が少しだけスポーティーになる。そのバランスが好きだった。

今年の(結果としてあまりにも短かった)秋に入り、私は簡単に羽織れて適度に防寒性もあるパーカーを物色していた。そしてとある衣類店で私の目はついにあるものを見つけてしまった。それは黒一色のパーカーで生地はスウェットで出来ていた。なんと偶然にも私が持っているスウェットパンツとセットアップのものだったのだ。偶然に見つけたものだがそのもの自体は驚くべきことではない、私が所有しているパンツはかのチャンピオン社が発売しているスタンダードなものだったのだから。黒一色で腰の付近に小さくチャンピオンのロゴが刺繍されている。そんなものだからパーカーとセットアップにして通年売られていても不思議ではない。しかし私は驚いた、パンツを購入した際にはセットアップで売られていることなど知らなかったからだ。それを発見した時点で私の心に火がついてしまったとも書くことが出来る。そして私はそのパーカーをハンガーから卸して袖を通した、生地は適度な厚さでサイズも細身で良い。野暮ったさが無い。そうとなればもう全てが決まったのも同然だった。これを購入した私は、その人生のなかで初めてスウェットの上下で外出する権利を得たのだ。これは物の所有の話ではない、その権利は私の心が私に対して発行したものだ。

そして帰宅し、クローゼットから例のパンツを引っ張りだす、やはりこれとパーカーはセットアップのものであった。もちろんすわさっそくとそれを着込んだ。購入した服を自宅で着て鏡の前で悦に至るという、いわゆるファッションショーと揶揄される、 しかし確実に服飾文化のなかでもっとも幸せな瞬間でもある行為があるが、まさかスウェットでそれを行うことになるとは思いもしなかった。ナルシシスティックに私はその姿に感動し、鏡の前で一回転などをしてみた(スウェット姿でだ・笑)。

権利は得たもののしかしスウェットのパンツとパーカーという格好で外出するのには、やはり少しの勇気が必要だった。しかしもうこうなればやぶれかぶれというか、ナルシシスティックに鏡の前で一回転してしまった勢いがあった。そして翌日、私はその姿で外出をした。その日は別段に人と合う予定などがなかったことが勢いに弾みをつけた。靴は細身のブーツにした。履いた靴がスニーカーではないのがこの格好としては不完全なところだが、これは映画の 「ロッキー」やそのサーガの最新作である「クリード」のイメージの転用、つまりスウェットと言えばボクサーなのだというイメージが私の心の奥底にあったのだろう。とそういうサジェッション/言い訳をしているわけだ。私はDQM/ドキュソではないぞという言い訳だ。それは自分に対する言い訳、だが。

スウェットの姿で外に出る。

どうにも落ち着かない。すれ違う人がそれまでの日々(私は多くの場合で秋にはテーラードジャケットやセーターを纏う、つまり私はそう言った点ではクラシカルな人間なのだ)とは違う目で私を見ているような気がする。これは完全な自意識過剰だが、服飾に少々の興味があるものとして、服装の種類によって、それを着る者の精神はもちろんだが、他人の対応が違うことを知っている。後者は可愛らしくもあり、しかし確実に慧眼というものを持たぬ人々の行為ではある、しかし馬鹿にはできない。端的にいえば多くの男が、恋人とのセックスの時に女が(ナース服でもセーラー服でもカクテルドレスでもなんでも良いが、兎に角セックス専用の)コスプレをすると喜ぶ。恋人をレストランに招待した女は、男が着慣れぬスーツを纏っている姿に欲情してレストランに行かずに男をホテルに連れ込む(これは私個人の実体験だが)。服飾のバリエーションはこの様に他人の精神を安易に変える。いうまでもなく欲情とは喜怒哀楽という豊でありしかし安い感情とは違い、人が自分自身では操作出来ぬ精神の代表的なところである。喜びや怒りや悲しみや楽しみのように、それを抑えたり、自発的に感じることは欲情の場合ではとても難しい。もし欲情が涙や怒りのように堪えることが出来るものであったり、ポジティブな精神を心がけるのと同難易度のし易さで出来るのならば、心的なインポテンツや不感症の患者はもっと少なくなる。服はそんな欲情さえも操作することができるのだ。

と書いたところで、やはりすれ違う人の目云々は多分に自意識過剰な者の言葉だろう。しかしスウェットの上下で街を歩くことはとても楽しい経験だった。やはりスウェットにボクサーのイメージをサジェッションをしても、私の心のなかにもDQM/ドキュソのコスプレという意識もあるようで、もう少し若ければ、うっかりとすこし悪いことをしたりいつもよりも粗暴になってしまっていたかもしれない。そういった自分の意識への傾聴も含めて楽しかった。



ジェーン・スーと田嶋陽子

今更になってジェーン・スー氏が書いたエセー集の「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を読んだ。面白い。その内容は本の題名が示すとおり近年の日本の女性に対する女性(ジェーン・スー氏)からの言及であり、広く言えば女性論だ。これに載っている文章の多くが初めは氏のブログに書かれたものであるというから、ブログ本というジャンルにカテゴライズすることもできる。

この本は数多くある「女性ってやっぱり大変なんだなあ」と思わせる本であり、言い替えればその程度の本(性差であり、人間全体の話ではない)なのだが、やはり面白い。  書くまでもないことなのだがこれは、「男って大変なんだあ」と思わせる本はその程度の本(性差であり、人間全体の話ではない)であり、そのなかにも面白いものはある、と言っているのと同じことである。語ること/書くこととしての性差/性は重要でシリアスな物件であり、より慎重にそして公に議論されるべきものではあるが、それはやはり人類全体(に及ぶ程度)の話ではない(ましてや人類の半分や少数の話でもない)ということを忘れてはならない。

女性の大変さを女性が訴えると、ある程度以上の年代の人々の頭を過るのはやはり運動家/教授の田嶋陽子氏の顔であり、彼女は視聴者が幼少の頃に師事した小学校の五月蝿い女教師そのままにテレビに登場し(これは悪い言葉であり、昭和的な言葉でもあるが)キャンキャンとその論を騒ぎ立てた。 これは明らかにテレビ局が意図した女性の社会的地位向上を唱える運動家のイメージへのキャスティングであり、彼女が出演した番組の力によりフェミニズム→五月蝿い女教師→きゃんきゃん騒ぐというイメージを固定化させてしまった。それ以降女性の大変さを女性が訴えることと田嶋氏のイメージは重なって来たが、ジェーン氏はそれを破っている。

ジェーン氏は巧みな文章力とさまざまな例え話、平静な文章、自虐(本のタイトルの"貴様"とは自分自身のことであり、優秀な文章に必要な自己言及でもある)までを含めたユーモアによって(つまりそれは知的な文章ということだが)女性が女性の大変さを語ることの非・田嶋化に成功している。どうしても女性自身が女性の大変さを語る文章はヒステリックになりやすく(本人なのだからヒステリックになりやすいのは当り前でありもちろん悪いことではないのだが、それが読み物になった時にはそれこそがこの行為に必ず含まれる構造的な弱点になる)、それに付いて回る憂鬱/陰鬱さや情念が出やすく、それを読む人々からは文章と同じようなヒステリックな同意か、正論に対して感じる居心地の悪さしか引き出せない場合が多いが、ジェーン氏はその知性でそれらを回避/緩和している。

さらにこの本を論にしなかったことも面白さの要因の1つだ。この本は論ではなく"〜問題"(この問題とは問題行動とか問題の人物という意味での問題ではなく、問題提起やミレニアム懸賞問題の様に解かれるのを待ちながら存在し、そしていつかは解かれるものという意味だが)なのだ。もちろんその成功は、この本がもともとは女性に向けて書かれたものであるということが一番大きな要因だが、その一方で男性も読者の射程には入れているという戦略こそが、この本を「女性ってやっぱり大変なんだなあ」と思わせる本でありながらも読ませる/面白いものにしている。 その戦略を可能にしたのは氏が持つ文章力と知性の力である。




悪貨は良貨を駆逐する。

とこのエセーを書いていたら第45代目の合衆国大統領を決める2016年の大統領選が終わった。勝ったのは皆さんご存知のとおりドナルド・トランプヒラリー・クリントンは泣き、中国とロシアは喜び、日本は混乱と言ったところだが今回の選挙が証明したのはかの警句「悪貨は良貨を駆逐する」は本当であるということだ。

この言葉はトーマス・グレシャムという16世紀に生きた英国の財政顧問の言葉であり、彼の名を採ってグレシャムの法則と……というのは経済の教科書にも載っていることだが、この警句に対して人々は重要な点を見逃している。この警句の内容を大雑把に書くと、本物の金貨と金貨に見える銅貨(偽金)があり、両方とも市場で同じ物として使えるのならば、人々は本物の金貨を自宅にしまい、偽物の金貨を市場で使うだろう。なぜならば市場の価値としては本物も偽物も同価値だが、実質な価値は金を使っている本物の金貨のほうが高いからだ。そして実質価値の低い偽金のほうを市場で使用するだろう。というものだ。
 
この話は贋貨/悪人が貨幣/善人を駆逐することだけを表しているのではない。確かに社会に蔓延るのは悪貨だが、人々は良貨を手元に残しておくのだ。ここがこの警句においては重要である。このことはつまり実際に価値のあるものは人々が個人所有し、秘し、一方の社会では人々は(物としてはもちろん、精神的にも)使い易い物のほうを使用するということを表しているのだ。社会においては実際に価値あるものよりも、使い易い物のほうが頻度もその場面もより多く使用されるのである。これもまた経済の教科書に書いてあることなので私が書くことではないが、経済の基本は交換である。それはつまり物々交換の時代を終わらせた、貨幣そのもの、貨幣が持つ万能の交換券/権そのもののことである。人々は社会において質の悪いものこそを交換する。良いものは自分自身のためだけに保管する。それがひいては「悪貨は良貨を駆逐する」ことになる。

今回の大統領選も同じことだ。バーニー・サンダースクリントンに破れ、クリントンはトランプに破れた。良貨は使用されずに個人がその内に大事に隠し持ち、社会では使い易い悪貨が使用される。だからトランプ第45代目合衆国大統領、悪貨ならばそれに恥じぬように実質の価値は低くても、せめて市場価値だけは本物と同じでいるんだな。



と書いたところで文章が長くなってしまったので今回はここで筆を置く。本当は私が最近自分に付けた芸名/ペンネーム/ハンドルネームのこと、そこからそもそもの芸名のもつ価値や、一個人におけるオタクと非オタクの分裂/演じ分けのことを書きたかった。それは次回以降のエセーで書くことにする。そのタイトルは「虎山元紀っておい!その名前なんだよ!おい!」「分裂してんだよ」/重力(敬体or常体)と恩寵、だ。その記事では敬体と常体のどちらを使うかを迷いながらも次に筆を取るまでにその技を磨いておく。それでは短い秋を吹き飛ばす本格的な冬が急来してきた日本列島に住まう方々は風邪などにならぬようにお気を付けて、それ以外の国に住まう方々も健康にはどうかお気をつけて。

 

 

 

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逃げるくらいならばあのとき2人は死んでいれば良かったのに -- 愛の嵐 -- /フラニー(敬体)とゾーイー(常体)

二ヶ月ほど掛かった私のweb上のコンテンツの一新を終えた。詳しい説明は私が書いた小説と詩を掲載するブログ「calmant doux pour la dépression.」(読みはカルマン・ドゥ・プール・ラ・デプレシオン。日本語に訳すと「憂鬱のための甘い鎮静剤」といったところだ)に書いたので読んで頂きたい。しかし小説と詩を載せるために作ったブログの最初の投稿が挨拶の文章とは、統一感としては初めから画竜点睛を欠いているようにも思えるが、目次の前に置いた、まえがきと捉えて頂いて、厳しいツッコミはご容赦を願いたい。

calmant doux pour la dépression.
http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20161017/1476720848

と当ブログ「gris homme」の二回目の投稿を書き始めたところですが、いま私はそれを解決するまでは文章を先に進めることが出来ない種類の問題に直面しています。もちろん文章に関連するものなのですが、それは日本語を使い文章を書いている我々に常に突きつけられている問題でもあります。私に関しては、それはこのブログを敬体で書くのか常体で書くのかという問題です。gris hommeをお読みの好事家の皆様には説明不要だとは思いますが野暮を承知で説明すると、敬体とはいわゆる、ですます調/敬語を使い書く文章のことで、実例を示すのならばそれは皆様がいまお読みのこの文章のことです。一方の常体は非・敬語的であり、ですます調ではなく、だ・である調で書く文章のことであり、それはつまりこの記事の冒頭に書いた文章のことです。

中学生時代の国語の授業や大学でのレポート制作の際に一連の文章は敬体か常体のどちらかに統一して書くべきであると我々は教えられて来ましたが、実情は敬体/常体がごちゃまざになり書かれた文章(もちろんそれは意図をもって敬体/常体を混ぜる場合つまりテクニックとして行う場合もあるだろうし、個人の文章作成能力の未熟さから、 意図せずそうなってしまう場合もあろうだろうが)が世の中の大半なのではないでしょうか、特に編集者や先生/教授/上司などの他人の手による添削が入らない個人のブログに載る文章というのはその傾向が強くなっているはずです。とこのように通常の文章は敬体を使用して括弧の内の文章には常体を使いリズムを作る、あるいは文章が読者に与えるイメージを操作するというテクニックもありますが、私としてはこのブログに掲載する文章は敬体か常体のどちらかに固定したいのです。

敬体/常体には物事のメリット/デメリットという捉え方を凌駕する、一連の文章が読者に与える雰囲気を決定する力があります。音楽でこれに対応するのはモードという概念です。モードは長調短調という単純な二分化には表すことができない音楽的な色彩の選択とその決定権を持っています。このモードと同じように敬体/常体とは長所/短所という言葉では捉えることが出来ないものを与える、文章の色彩を決める様式なのです。色彩という言葉でそれを表現するとなればやはり敬体は隣接する色同士の境目さえ曖昧にするパステルカラーで、敬体は色と色の区切りがハッキリとしているヴィヴィットカラーということになるでしょう。私はそれらを玩具箱から取り出した玩具のようにごちゃ混ぜに扱う幼児的な快楽、その一方で芸術さえ生み出すストリートライクな敬体/常体を混ぜた文章表現ではなく、純一な1つのモードだけを使用してモードというものが持つ色彩の美しさと純粋で故に少々ヒステリックな雰 囲気を文章に与えたいのです(ここでいうモードとは服飾の世界で使用されるモードのことでもあります)。

その上で私は敬体と常体という2つの色彩の効力を同程度に信用しており、文筆の際に使う相棒として一緒にその道を歩んでいきたいのです。ですので文章の様式を統一するにしても1つの記事のなかのルールに限定します。gris homme の1回目の記事「テスト投稿をしろと言われたのでテスト氏のことでも書こう(なんてことはもう世界中の多くの人がやっている)」(http://grishomme.hatenadiary.com/entry/2016/10/06/015154)は常体で書きましたが今回の記事は敬体で書いていきます。つまり記事の内容によって敬体/常体を使い分けるのです。この様にすることでそれぞれのモードを獲得することと、2つの相棒と共に文筆の道を歩むことを両立させていきます。

と前書きが長くなったところで本題です。上記したとおり今回の記事は敬体を使い書いていきますので、この様式がもつ柔らかい色彩を、皆様の貴重な時間をいっとき頂戴して、お楽しみいただければ幸いです。

コンテンツを一新するための様々な作業(これはコンテンツの 方向や規模やデザインのイメージを決めるという初期設定から、ホームページやブログなどのWEB上のスペースを借りる会社の選定、デザインを具現化するための写真の撮影やパーツの作製といった構築的なもの、そして内容を書く実務的なものが含まれています)はとても楽しかったです。心象に描いたものが形を成していくというのはやはり気分が良いものです。そんななかで唯一私を焦らせ、作業をさせるために尻を叩き続けたのは借りていたレンタルDVDの返却期限でした(個人でやっているwebサイトですから、本来は締め切りもなにも無いわけです)。

この年にして恥ずかしい限りですが、これは自分のスケジュールと一定の期間内で自分に観ることの出来る映画の数の折り合いもつけれぬまま、映 画名や監督名に淫するように大量のDVDを借りてしまったことへのツケでした。名前に淫する(よう/様)とはつまり中身を観ずに興奮していることですから、これは批評家(私は批評を書いたら思いのほか評判だったので味を占めて批評を書き続けている子供、つまり勝手に批評家を名乗っているだけなのですが・笑)の端くれとして情けない限りです(名が残っているということ自体が作品のクオリテォーを保証するという言い方も出来るのですが、どんな天才であっても作ったものの中には凡作がありますし、そういったことを考えると中身を観る前から興奮しているようではだめですね。これは映画を見ずに駄作と決めつけるという多くの人々がしてしまう行為と同質なものです。もちろんその質の悪さは後者の 方が遥かに高いことは言うまでもないことです。精神分析医のフロイトはその著書で批評家たちに対してこう言いました、1度は読みたまえ、と(これは前回の記事のリピートです・笑))。

しかしどうかそんな私を許して頂く、今回借りたDVDの作品名と監督名を以下に列挙しますので、そのジャッジを皆様にご判断頂きたく存じます。作品名/監督名という順番での記述です。

ブルジョワジーの密かな楽しみ/ルイス・ブニュエル
自由の幻想/ルイス・ブニュエル
欲望の曖昧な対象/ルイス・ブニュエル
悲しみのトリスターノ/ルイス・ブニュエル
小間使いの日記/ルイス・ブニュエル
チャイニーズ・ブッキーを殺した男/ジョン・カサヴェテス
2つの世界の男/キャロル・リード
殺 しの分け前・ポイントブランク/ジョン・ブアマン
現金に手を出すな/ジャック・ベッケル
狩人の夜/チャールズ・ロートン

と名立たる(そうまさに"名立たる"です)名作ばかり、しかし恥ずかしいことにこの年まで私は上記の作品を1度も見たことがありませんでした。そんな私にこれらの作品をまとめて観る機会が訪れたのです(具体的に言いますとTSUTAYAオンラインDVDレンタルサービスが貸し出し料金半額のセールを行っているのを知ったのです・笑。そして興味本位で気になっていた作品名や監督名を検索するとおとぎ話に登場する地中に眠っていた金銀財宝のごとくザックザックと出て来たのです)。そのとき、これらの作品名を目にしてレンタルを申請するボタンをクリックすることを止められなくなってしまった私の心はやはり 作品名と監督の名前に淫していた(よう/様だった)のでしょうか?淫することは甘くやがては苦いものと誰もが知っていることですが、果たして今回の私の行為がどうであったかというと、もう完全にそのとおりでありまして、映画を見ながらときに興奮しときに苦い顔をするという、つまり完全に楽しい時間を過ごすことが出来ました(うはは)。

しかし淫欲には問題がつきものです(正確には問題があるから人は何かに淫するわけですが。この文章をお読みの皆様にはお判りのとおり、ここで私が語っている淫欲とはフェティシズムに近いものです)。私は上記10枚のDVDを二晩で観終えなければならなかったのです。つまりそこまでWEBサイトの開設/ブログの一新に時間が掛かってしまったわけです。無 事に全ての作品を鑑賞し終えることが出来ていまはほっとしています。

観賞した順番は、現金に手を出すな→チャイニーズ・ブッキーを殺した男→ブルジョワジーの密かな楽しみ→自由の幻想→2つの世界の男→朝。再び夜→欲望の曖昧な対象→殺しの分け前・ポイントブランク→→悲しみのトリスターノ→小間使いの日記→狩人の夜→これで完走です。

シュルレアリストが作った映画が5本、インディペンデント映画というものを確立した監督の映画が1本、「第三の男」を撮った監督の次々作、フレンチ・フィルムノワールの代表作が1本、前衛的な犯罪映画が1本、そして生涯唯一この作品だけを撮って監督業を廃業した男のその1本というライナップ。映像作品に向き合い自身の美学を刻印してい った男たちの頼もしい作品の連続に、私は豊かで耽美な生命力を注入され、映画という複合的なもの、世界の複雑さ/繊細さを描く映画というものが観客に与えるエネルギーのうねりに、これまでの疲れを忘れ、2日間で10本も観賞したのにも関わらず、そして上記の作品には一本も完璧なハッピーエンドはないのにも関わらず、心を癒されたのです。

(苦い顔、というのは「二つの世界の男」を観終えた後にやはり第三の男は名作だったあれは甘くクールで映像が美しかったから良かったのだがこれにはクールしか無いと感じたとき、欲望の曖昧な対象を観終えた際にブニュエルにしてはあまりにも表現が直接的すぎる、それ以外の作品のように無意識を揺るがされたと感じるような瞬間が無いという感想 を得たときにした私の心的な表情のことです)

高揚した気分のまま私は、観終わったのが深夜でしたから、急いで中央郵便局に向かいました。DVDを借りた方法はネットを通しでですから、これを返却するためにはポストにDVDを投函しなければならないわけです。しかもこの日は返却期限の1日前なのでその辺に設置されているポストに投函しても期限までには間に合いそうにありません。しかし中央郵便局の深夜に開いている投函口を利用すれば期限までには間に合うだろうと考えての行動でした(通常のポストに投函したものは、その後地域の中央郵便局に集められますから、最初からそこを利用すれば配達の行程を1つ減らせるわけです)。

散歩も兼ねて徒歩で郵便局に向かったのですがその道中で「愛に も色々な種類があるけれど、共通していることは相手を忘れないということだよな。個人的な性愛から人類愛という大きなものまで愛というものの全てがそうだ」などと観賞した映画たちから与えられた考えをまとめていると、野良猫が6匹ほど纏まっているところに遭遇し、その次に川辺を歩いていると猫の耳を模倣したデザインがフードに施されたパーカー(いわゆる猫耳パーカー)を被った少女が土手に寝転がりながら電話しているところに遭遇し、さらに自転車に乗った20代とおほしき女性が小さいながらもハッキリとした発声で歌いその美声を深夜の空気に響かせながら私のそばを通ったので、すわもう季節は春なのか(ご存知のとおり、春の空気は人々の心を浮つかせ、猫を発情に導きます)と思い、春はまだ まだ先なんだよ子猫ちゃんたちという気分になってしまいました。そんな気分のまま郵便局に到着、帰宅しました。

さてこれらの映画のことを詳しく書きたいのはやまやまなのですが(ブニュエルの映画から学んだことは、シュルレアリスムひいては日本語でシュールと言われるものを表現するには役者の演技や絵が素人臭かったり貧乏臭くてはだめだということです。ブニュエルのそれには実力のある俳優が出演し製作資金もそれなりに使われていました。端的に言えばダリもマグリットも絵が凄く上手かった、カルティエブレッソンも写真を撮るのが上手かったということです)それとは別に私にはまえまえからその作品が持つ問題を批評したいと思っている映画がありました、それは「愛の嵐」というイタ リアで制作された映画です。

「愛の嵐」はリリアーナ・カヴァーニという女性が監督し、名優ダーク・ボガードを主人公に、シャーロット・ランプリングをヒロインに据えた1973年制作のイタリア映画です。主人公はナチスの元・将校であり第二次大戦中は強制収容所を支配していた男、ヒロインはユダヤ人の女性で戦中は強制収容所に捕らわれていた少女、男は少女を弄び、少女はそんな状況に適応していくという過去を前提として、戦後のナチス狩りを逃れてオーストリアのウィーンでホテルの夜間のポーター(荷物運び/案内係)という身分に扮していた主人公は、人妻となっていた少女と再開する、初めは微妙な距離を取っていた2人もやがては堕ちていくように関係を再開させる。というプロッ トをもつ本作は毀誉褒貶の評判があり、ナチスドイツの残酷さ、転じて戦争の悲惨さやそれが戦後も続いていくということはきちんと表現しており、しかし犯された女性がその男をやがては愛憎を一緒くたにしながらも求めてしまうというこの物語の重要な部分に対して、誘拐や立てこもり事件におけるストックホルム症候群、実際の監禁事件被害者の行動を引き合いに出し、女性が監督した作品であるというエクスキューズ/サゼッションをし、強制収容所時代のセックス自体はきちんと描かない(描かれているのは男が女の裸を写真で撮ることや、ある種のストリップです)ということ、つまり倒錯を描いていることを加味しても、やはりポルノ的な題材であるという印象を拭えないことからもそれも納得 できます。

しかし私はそこを問題にしません。この映画の問題は物語の必然性、ラストシーンの投げやりと言って良いほどの必然性の無さなのです。終戦後も戦争の影響は続いていくということと、ナチスドイツの描き方、性愛、性愛の倒錯、再燃と転落とその悲劇というものは、実際のオーストリアのナチス党員の多さ、戦後も続く右翼思想を背景として、そして仄暗い画面とダーク・ボガードシャーロット・ランプリングの美しさの力による説得力で破綻を感じさせません。

特に強制収容所時代のランプリングの格好、乳首丸出しの上半身の裸に黒いパンツとサスペンダー、肘まで伸びた革の手袋、頭にはナチスの軍帽という格好はある種のアイコンにもなっており、日本のアニメへの影響力もある ほどです。

(具体的には1995年からテレビで放送されたアニメ「爆裂ハンター」に登場するキャラクターが同じ格好をしています。などと書くとgris hommeをお読みの方の中には、うっ!と思われる方も居られるかもしれません。なにせ現在の日本はどこもかしこもアニメ、アニメ、アニメであり、アニメが現在のコンテンツの覇権を握っているとはいえ、それに対応しきれない方も多いと思われ、そんな方は上記したブニュエルやカサヴェテスやフレンチ・ノワールの映画の羅列にこの文章ひいては当ブログにはアニメの話題が登場しないと思われていたかもしれません。しかし私はアニメも見ますし、ヴィデオゲームを嗜む程度に楽しんでいます。とはいえ「凉宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん」以降のアニメブームには今イチ乗れず(端的にいうと、これを境にして多くの声優の名前が判らなくなりました)、そういえば現在大ヒット中の「君の名は。」も観てい ないという状況です(折角なのでこの題名の元ネタとなっているラジオドラマを原作とした岸啓子主演の映画のほうを観たいです)。しかし私はそれでもアニメもゲームも好きではあるという中途半端な現状でして、そういった嗜好ですので、以降もgris hommeに書く文章にはそれらのことが登場するとは思いますが、それでもお付き合い下さる方はアニメやゲームへの言及は、どうか知らない国の言語を話しているとでも思っていただきスルー、あるいは知らないながらもそれを楽しむという気分でお読みいただければと存じます)

敗戦国の終戦後の社会状況の悲惨さということは我国の戦後の赤線、浮浪児問題(日本において国会で始めて覚せい剤が問題として取り上げられたのは浮浪児に関連してのことでした)を上げずとも多くの人々が知っており、「愛の嵐」においてもナチスの残党が秘密結社を組みナチス狩りから逃れ、ある程度の高い地位に居る、そういった状況を許してしまっていることを描くことで、戦争は終われどその悲劇は続いていることを表現して います。しかしこれは社会における終戦後の状況の描き方であり、それとは別に戦争と終戦は(当り前ですが)個人の精神へも影響を及ぼします。

具体的には国家間/社会的には戦争が終わっても「愛の嵐」の主人公とヒロインの個人的な/精神的な戦争は終戦を迎えてはいないのです。この映画の原題は「Il Portiere di notte」です、日本語に訳すと「夜のポーター」です。主人公はそのとおり、秘密結社から他の(陽の当る)仕事を進められても土竜には陽の光は眩しいと言いそれを断ります。彼にとっては戦後という社会状況さえもが明るすぎるのです、作中の彼の行動や表情や台詞からは生き残ってしまったという感慨を感じます、もちろん生き残ることは悪いことではありませんが、この映画に登場する元ナチス将校の彼は戦争で自分は死んでいるべきだったと思っているわけです。一方のヒロインの個人的な戦争も終わってはいません、それは彼女が今においても彼に惹かれてしまうということによって描かれています。

彼女の存在が秘密結社にばれた主人公はその抹殺を命じられます。当時のことを知っている彼女を 生かしておけばそこから全てがばれて自分達も裁判にかけられると彼らは懸念しているのです。しかし男は女を殺せません。その結果として2人は彼らの命を付け狙うナチス残党の秘密結社に対する、自室での籠城戦を行うことになります。籠城という悲惨かつ廃退的で耽美な生活は直ぐに終わります、2人は部屋から脱出し、その逃亡の過程で銃殺されるのです。そしてその場で映画は終わります。

この展開にはストーリー的な必然性がありません。なにせ彼らには戦後を生き残るという気概がそもそも無いのですから。銃殺のシーンはウィーンの重厚な建築の橋の上で行われ絵的には悪く無い画面構成であり、やはり悲劇ではありますが、彼らには逃げる意味が無く、リリアーナ・カヴァーニ監督がなんと なくラストに絵になる悲劇的なシーンを持って来たかったからこの場面を撮ったのだという印象しか持つことができません。

もちろんストーリー的な必然性がないことは悪いことではありません。例えば我々が1度は観たことがあるはずの2時間もののサスペンスドラマでは意味もなく犯人や主人公が様々な場所に行きます、しかしこの手のサスペンスドラマには観光という側面があります、お茶の間に居ながらにして視聴者は色々な観光地(例えば日光の温泉街や函館の街並)を観ることができます、そもそも映画には「ローマの休日」からアフリカ大陸を舞台にしたモンド映画まで観光映画という側面を持ったものが沢山あります。これに対してストーリー性云々を語るのは些か野暮ったい言及の仕方です。ブニ ュエルの映画にはストーリー的な統合性が少ないものが多くあります、しかしそれは人々の無意識を映画として表現するためのものであり、ストーリーの破綻こそが彼の映画を魅力的にし、人間の無意識の曖昧さ、その正体不明さをより明確に画面に表します。

しかし「愛の嵐」は作中の大半がホテルや自室の室内ばかりで観光映画という側面はなく、また性愛を描いていながらもブニュエルがやるような破綻はありません、1組の男女の性愛、自室での籠城戦という内に内に籠っていたものが最後に逃走という仕方で外へ向かうことを選択をするという方向性の転換が心理的な破綻であるという捉え方もしっくりきません。なぜならばそれまでの作中で2人からは生き残りたいという希望を一瞬も感じず、外 へ逃げてもその心は相変わらず内側に向かっているからです。しかし例えば最後には女が男を殺すというものであったのならば(あるいは逆に男が女を殺すというものであったのならば)必然性を得ることにはなりますが(そうすればある種の男女間のパワーゲームを描いた物語にはなるわけです)しかしそれは耽美でも倒錯でもないただの凡作ですから、それは回避しているわけです

さて、ナチス、籠城戦、そして1組の男女、その最後、というものの列挙に皆様はなにを連想されるでしょうか。私はあの1組の夫婦のことしか連想出来ません。というよりも主人公とヒロインはあの夫婦を模倣しようとした(監督は模倣しようとしたはずです)としか思えません。私は、ならば、逃げるくらいならば あのとき2人は(籠城戦のなかで)死んでいれば良かったのに。としか思えないのです。そうすればこの映画は終戦後も続く個人の/精神の戦争がその心を内に内に追い込んでいきやがては破滅させるという必然性を保つことが出来たのです。そして逃亡の末の銃殺よりも遥かに悲劇的になります。もちろん念のために書きますが現実では生き残るほうが良いのは言うまでもないことです。しかし「愛の嵐」は1組の人間の性愛と終戦後も継続する個人の精神のなかでの戦争を主題にした映画なのです。映画とは社会状況を描くものですが、その一方でなんらかの代演/身代わりでもあります。それはときに希望や成功というものの代演でもあり、ときには破壊衝動や破滅や死への欲望の代演でもあります。映画は現実世界の誰 かの/なんらかの/観客の/その精神の底に眠るものの代演をすることで人々の心を深いところで癒すのです。

と長くなりましたので今回はここで筆を置きます。最後までお読み下さった皆様には感謝の気持を捧げます。次回は敬体と常体、2つの相棒のうちどちらを使おうかという楽しい悩みを抱きながら、次の記事までその技量を磨いていきます。それではまたお会いしましょう。

テスト投稿しろと言われたのでテスト氏のことでも書こう(なんてことはもう世界中の多くの人がやっている)

ブログを新設した。私は以前からインヴィジブルポエムクラブという題名のブログを運営している。小説や詩や批評を載せるためのものだ。それも含めて今回のものでブログを4つ作ったことになる。このブログはインヴィジブルポエムクラブをリニューアルするにあたって批評のページを分離させるために誕生した。小説も批評も根源は同じものだと思うが、同じ場所に置くのは食い合わせが悪い(それは例えるならば1つのスポーツに関わる者たちのようなものだ、ボクシングの選手はリングの上に登り拳を握り、実況者は実況席で叫びながら拳を握り、観客は客席に座りながら拳を握る。しかし選手が観客席に座ることはない、もちろん観客がリングに上がることもない)当ブログ新設 の挨拶は後日きちんと書くとして、とりあえずの記事を書くことにした。はてなブログから最初の記事を投稿してみろと言われているし(そんな五月蝿い編集者のようなこと(五月蝿く無い編集者が存在しているのか知らないけれど・笑))をしなくても良いのに(苦笑)。なによりも一度記事の投稿をして画面のレイアウトがどうなるのか眺めたい。


この記事の内容はタイトルのとおりなのだが、ほんとうに世界中の人々が同じことをしたことがあるはずだ。フランス人のヴァレリーは知の巨人と呼ばれた人で、青年の頃から才気にあふれる人だったようだが、若い頃に少しばかりの詩を発表したあとでとある老人の個人秘書となり文壇からは遠ざかり、その一方で、その生活の中で貯えた知識と才能と発 酵させていた。彼には知性があった。それはなによりも、沈黙の生活のなかで才能と知性を腐食させなかったことによって証明されている、冷蔵庫のなかに食品を貯えるだけ貯えてそれを腐らせてしまう人(あるいは親族さえもがその存在を老人の死後に知ったタンス預金)ではなかったわけだ。ヴァレリーはその時期にカイエ(日記/手記/手帳)を書き知識の整理と未来の知性の根源としていた。一般的に知られるようになったのは彼が46歳の頃だが、彼は(沈黙の時代も含む)生涯を通してテスト氏なる人物を物語の中心に据えた話を何作も書いている。テスト氏なる名前はもちろんテストのことで(フランス語ではmonsieur Teste )その内容は本作を読んでいただくとして(精神分析医のジークムント・フロイトはその著書、夢診断の中で評論家に向かってこう言っている、しっかりと読んだのか?いやこう言いたい、1度は読みたまえ、と)私がこの記事で取り上げるのはその思想だ。

ヴァレリーは自分の思考を人に対して告げたり、話したり、書かない人、つまり物言わない人の中にこそ本当の知性ある者(テスト氏)が居るのだと書いている。何故ならば(それが話されたものによせ、書かれたものにせよ)言葉は放たれた時点で自分が本当に思っていたことや伝えたかったことからは遠ざかっていってしまうからであり(あるいはこういうべきか、物事を正確に伝える言葉など存在しない)自分が放った言葉によって自分の思考 が絡めとられ知識と思考と思想は硬直し、最初の考えはどこかに行ってしまう。言語学者のソシュールや哲学者/精神科医ラカンのことをここでは例に出さないが、きっと言葉とはそういうものだろう。言葉が万能だと思ってしまうのはインターネット文化(掲示版とかSNS)が育ったことの弊害の1つだが、それは多くの人が誰かがネット上に発信した言葉で1度は心をエグられた経験があるからだろうと私は思っているのだが(ニーチェの言葉ではないが、人は自分を傷つけた凶器こそを評価する、そしてそれを手に持ってしまい、うっかりと使ってしまう)、ここではそれは主題ではない。

音楽家/文筆家の菊地成孔さんがテレビ番組でアウトサイダーアートと分類された芸術家たちを紹介した際に、出演 者が(確か真木蔵人さんだと記憶しているが)彼らは誰にも見せずに自分一人で絵を描いていたから偉いのですか?(評価されているのですが?)と言った。ヴァレリーの思想に則ればそのとおりだ。番組で紹介されたのはヘンリー・ダーガーだ。彼は死後有名になった画家だが、ゴッホやモリディアーニと違うのは、彼は自分のためだけに絵を描き、生涯のなかで誰にもそれを公表せず、死ぬ間際に全ての作品を燃やせと言ったところだ。彼は自分の為だけに絵を描いていた。自分のためだけに絵を描いている、人のことは気にしないという類いの発言があるが、ヴァレリーならばその言葉を言った時点で君は人の目に晒された、そしてそれを意識していることで、君の真の自由や表現が失われたのだと言うだろう 。一方でダーガーは自分の為だけに絵を描いていたのだから本当の自由を得ていた。そこには自由な想像力(ダーガーのそれはデモニッシュなものだが)があった。趣味の悪いことを言えば、それは空想実験だった。多くの者が一度は本当に自分のためだけに作品を作ることは可能なのだろうか?ということやそうなったらどんなものが出来るのかを考えたことがあるはずだった。だから彼の存在は現実となった空想実験だった。

私ははじめブログの題名を「知性を喪失しながら踊るエセー」「エスプリッソ」(これはエスプリとエスプレッソの合成語、造語)などにしようと思っていた(しなくて良かった・笑。言葉として座りがとても悪いのだもの)。題名に知性とエスプリが入っているのは、それを私が持っているという自惚れの表明ではなくて、それを呼び込みたかったからだ。ブログの題名は、小説や映画の題名とは違う、それらは完成品に付けられた名称だが、ブログとは日記(カイエ)であり延々と完成しないものだ。ブログの題名を考えることは中身が詰ま っているものに名を与えることではない、いまだに空のものに名前をつけることだ、人名を考えることに近い。人名には子供の未来に対する親の願いが込められている場合が多い。ブログのタイトルも同じだ。私は知性やエスプリを得たかったからそれらの言葉を題名に使用しようと目論んだ。
 
だが結果私がブログに与えたのは「gris homme」(グリソム)という名前だ。意味は灰色の男。全てのものを灰色にしてしまう(正常にレイアウトが表示されていれば)画面の右端に居る男(私が描きました、すごい下手だけれど・笑)のことだ。しかし恐ろしいことに私は「知性を喪失しながら踊るエセー」という題名を考えた時にはヴァレリーのことなど毛頭なかったのだが、ブログを開設/解説したことで(ヴァレリー流に言えば)私の本当の知性は失われることになる。考えていた題名のとおりになってしまった。

しかし踊ろう。
誰が私の手を取るのかは分からないが
素敵なダンスをできるようにしておく。
そこで流れる音楽はエリントンのビッグバンドだ。